日記

自由について本気で考えてみる 森博嗣さんの書籍を読んで

「集中力はいらない」から森さんに興味を持って、2冊ほど追加で読んでみました。

「自由をつくる 自在に生きる」「面白いとは何か? 面白く生きるには?」
この2冊です。

本を読んだ感想

読んでみて共通する哲学があるというか、わりと同じことについて書いてある気もしました。

もっとも大事な考え方は

「自由」とは思い通りにすることである

ということだと思います。

自由にするためにはまず「思う」ことが大事で、それを実現することが生きる喜びである。
ということでした。

面白いとは何か、でも最初は面白さの説明やそれを生み出す方法について書かれていましたが、
最終的に人からどうみられているかや、価値があるか、という評価に囚われるな。
自分が心から面白いと思うことに素直になれ。そしてそれを実現せよ。

ということについて書かれていたように思います。

こころに残った言葉

面白さを生み出すには抽象的に捉えることが大事である。
なぜ面白く感じるのかを考え、その抽象的な感覚を表現するのだ。
ってな感じなことが書いてありました。

この感覚が自分にはなかったので、ちょっと創作者に近づけた気がします。
ちょっとこれはしばらく生み出す訓練に取り組みたいと思いました。

人と違うことをした方が有利である

このことばもどきっとしました。
人と同じようにしよう、という考えを最近持っていたように思います。
「狭き門」という概念も心に残りました。

この言葉は誰も注目しないような狭い門にも注目すると利があることがある。といった意味だそうです。

ファッションとかも、無難に無難にといった考え方になっていたので、
大事なところでは人と違うようにしたいと思いました。

妻曰く、あなたみたいな人はほかであんまりみたことがない、とのことなので、
もしかしたら自然とできているのかもしれません。

ほかとちがう生き方をさらに深めていこうという決意ができました。

思い通りに生きるのは一筋縄ではいけない

まず、理想の生活や面白いことを思うことが大事である。

最初に目標を思い浮かべなければならないのです。
そして、「面白いこと」を思い浮かべる必要があるのです。

これは非常に難しいことです。

いままでの人生であまりやってこなかったのではないかと思います。
まず思わなければそれは実現できない。とのことでした。

これはその通りだと思います。
闇雲に歩いてもどこにもいけません。
まず目的地があり、それに向かって歩いたり、走ったり、時には電車に乗ったりするからたどり着けるのです。
そんな最も単純なことに気づきました。

では、自分にとって理想の生活、やりたいこと、面白いことってなんでしょうか。

面白いことに関してはいままで見てきたアニメや小説や映画について
改めて考えてみることにしました。

ここでスマートノートの出番です。
スマートノートとはこれをやるために技術だったのだと気づきました。

そして、面白さの抽象化に挑戦したいと思います。
すでに、少しだけやってみているのですが、これはかなり楽しい作業です。
小説家になるには1ジャンル1000冊の本を読んだ方がいいと見ました。(森博嗣さんは読む必要ないと言ってます)

そんなの無理やん、とおもっているのですが、アニメとゲームであればもう一生ぶん楽しんだという自信があります。擦れるほど、浴びるほど見てきたという自負があります。

それらを脳内で整理し、抽象化していくのはとても楽しい作業に感じました。

面白さを抽象化していると、自分で何か作りたくなってきた

おもしろさについてずっと考えていると、何か自分で生み出す作業をしてみたいという気持ちが高まってきました。

正直、アニメやらゲームやらを映画やらに触れても、昔ほど面白いと感じなくなってきているのです。
たまーに新しくておもしろい作品に触れられると喜びはあるものの、それは一過性のものです。

そこで思いました。だったら自分で読みたい作品を描いてみたらいいのでは?

面白い作品がないのであれば、自分で面白いと思うものを考え生み出すことを試みれば良かったのです。
それはきっと作品を摂取するだけの生活よりも楽しいのではないかと感じます。

そういえばずっと物語を生み出したいと思っていたのだった

なにかしらの物語を生み出したいという思いは、ずっとずっと抱えてきたものだったのです。
自分の人生の一つのテーマといっても過言ではないかもしれません。

では、なぜそのテーマに触れてこなかったのか。
それは、自分の思い込みが原因としてありました。

きっと自分にはできない、と自分自身で勝手に思い込んでいたのです。

このことについては「自由をつくる 自在に生きる」でも触れられていたことでした。
自分で自分を制限してしまう人がおおい、と。

それは私も例外ではなく、「物語は自分には生み出せない」と思い込んでいたのです。

なぜそう思うのかをよくよく考えてみた。

よく考えてみると、なぜそう考えていたのかよくわかりません。
コミュ障気味だし、人と人の会話を書くのはむずかしいだろうな、とか。
恋愛ごとを描くのはなんだか気恥ずかしいし難しいだろうな、とか。

そう言った普段、なぜかデリケートで腫れ物を扱うようにしてしまったことにわざわざ注目して手を突っ込んでみると「あれ、なんでそう思ってたんだっけ」と不思議に感じる、妙な感覚が体験できました。

アウトドアより、インドアで深く深く内部を掘っていった方が世界が広がるということをなんとなく思っていた私ですが、やはり身近なところに深い海はあるのだなとかんじる出来事でした。

物語を生み出せる人生はきっと豊かだと思う

単純に生活が楽しくなりそうな予感がするので、この習慣は続けていきたいと思います。
小説投稿にもチャレンジしてみようかなと思っています。

なぜ小説か

絵柄は古くなることがあるけれど、文体は古くなることが少ない、と岡田斗司夫さんが言っていました。
たしかに文字だけであらゆることが表現できるのですごくコスパがいいように感じます。

ヤボったい文とか、ながくて意味がわからない文とかは判断できるようになってきたと思います。
昔よりはスッキリして読みやすい文が描けるようになっていると思うので、これをさらに高める努力のためにも、文章を書くことに力を入れていきたいと思います。

まとめ

自分が一体何をしたいのか、どういったことに挑戦していきたいのか、見直す機会になった読書でした。
しばらくはこんな感じで、脳みそで思い浮かべた内容をそのまま出力するような文の書き方をしていきたいと思います。

この書き方だと、割と脳みそには負担がかからず疲れにくいとわかったので割といいんじゃないかと思います。
文字数を稼げるというのもSEO上とても良いのではないかと感じています。
一体何文字になっているのでしょうか。楽しみです。