「集中力はいらない:森博嗣」 のレビューです。
こちらの本、なんで買ったか忘れてしまいました。
だいぶ前に購入したものでしたが、kindleの本棚を眺めていた時に気になり読みました。
今自分の考えていることや、最近読んだ本とリンクするところがあったので紹介したいと思います。
目次
集中はいらない?(とは言ってない)
本書籍は「集中を善とする世間の考え」に一石を投じるものです。
しかしながら、集中力が不要だとは書いていません。
そう言う意味でこの書籍を手に取った人はがっかりしてしまうのではないかと思いました。
筆者の主張は「集中」が良いものとされているが本当にそうだろうか。
集中ではなく、分散して思考、作業を行った方が自然で有効なのではないか。
というものです。
どういった人がこの書籍を手に取ったら満足できるかはちょっと不明なところがあります。
自分はすごく楽しむことができました。
思考力についての幅広い考え方を知りたいと言う人はすごく満足度が高いと思います。
「仮説思考」「アイデアのつくり方」「ポモドーロ・テクニック関連」
とかの書籍とは非常に親和性が高いと思います。
1日に1時間しか仕事をしない。作者の仕事方法
この書籍の一番重要なものは、「担当者と筆者でのメールのやりとり」の内容ではないかと思います。
本書に企画時点でのやりとりが記載されています。
作者の森博嗣さんは小説家で「1日に1時間しか執筆作業をしない」という作業方法をしています。
しかも、一気に行うのではなく、一回10分程度で1日に何回か行うと言うのです。
その合間は何をしているかと言うと、趣味の工作などの作業工程を複数進めているそうです。
(30分程度でタスクを切り替える)
ものすごい集中力で、構想をねるのには別途時間がかかるものの、実際の執筆作業は14日間、計14時間で終わると言うのです。
すごい集中力です。
そういった作業を可能にしている、作者の思考の片鱗を覗く、と言うのが本書のメインかと思います。
この作業方法を見た時に、これ「ポモドーロ・テクニック」だ!
と思いました。しかも、同じ作業は繰り返さず別作業にするのが特徴かと思いました。
一回30分という時間もちょうどかと思います。
経験則から最も良いと思われる作業時間が「ポモドーロ・テクニック」とほぼ一致しているのもとても興味深いと思いました。
発想こそ仕事の真髄である
集中を必要とする仕事は単純作業など、あまり多くないということを指摘しています。
ある程度高度な作業になると、必要なのは「発想」であり、それを行うのに「集中」は向かない、と指摘しています。
じゃあ実際どうすればいいの?
と聞きたくなりますが、それこそが「集中」的な考え方で自分で考え各自最適な方法を編み出すしかない。
とのことです。
脳の構造はみんな違うし、自分は他の人と違いばかり感じてきた。
という作者らしい回答だと思います。
作者の発想法についてもこちらに記載されています。
その方法は書籍「アイデアのつくり方」で紹介されているものとほぼ同じ方法となっています。
簡単に説明すると
・最初にそのことについてしっかりと考える時間を持つ
常にそのことが思い浮かぶような状態にしておく
・あえてそのことを考えず他のことをする(リラックスしている状態が望ましい)
・突然思いつく瞬間が来る
合わせて以下の書籍を読んでみるのをお勧めします。
とても短い本ですが、おすすめの書籍です。
なぜこの方法が思いつくのか、というのは「具体」「抽象」とはなんなのかの解説で非常に腑に落ちました。
「具体的」「抽象的」とはなんなのか
個人的にここが一番面白く身になった部分です。
一般的には「具体的」の方が「抽象的」より良いとされていると思います。
しかし本書では「抽象的」であることの重要性について語られています。
これらについて、ちゃん理解していない人がばかりだ、という指摘から入ります。
抽象的とはなにか
あやふやで捉え所がなく、言葉にするのが難しい。
しかし、本質的です。目的・目標そのものです。
具体的とはなにか
明確で、実際に行動に移すことが可能な状態です。
しかし、本質的ではなく目的・目標とずれている可能性があります。
例:子供の欲しいもの
いったいどういうことか。
書籍で紹介されていた例で説明します。
母親が「何か欲しいものがある?」と聞きます。
子供は「なんだか楽しみたい」と答えます。
この答えでは母親は何を買い与えれば良いのか分からないので、 商品ジャンル、商品名や、おもちゃ屋で指をさしてもらうことになります。 子供は「電車のおもちゃ」を選びました。
子供の「なんだか楽しみたい」というものは非常に抽象的で、実際にものを買い与えるには困ってしまう答えです。
しかしながら、「なんだか楽しみたい」というのは子供の本心で本質的な回答となります。
本当に欲しいのは「電車のおもちゃ」ではないのです。
子供は自分で選んだおもちゃであるのにもかかわらず、そのおもちゃで遊んだ時に楽しくなかった場合に非常にがっかりします。
「電車のおもちゃ」は具体的ですが、「なんだか楽しみたい」という当初の目的とはずれてしまっている可能性があります。
子供の欲しかったものは本当はおもちゃではなく、母親と一緒に食事をすること、遊ぶことだったかもしれません。
「具体的」「抽象的」というのは上記のような特徴を持っています。
具体的であることは一般的には良いこととされますが、
実際に行動に移せる状態であることは確かですが、当初の目的とは乖離している可能性を持っているのです。
これはすごく使える考え方だと思いました。
そして、作者の言語化能力やべー と戦慄した部分です。
ここだけでもこの本を読んでよかった。
「考えよ」具体的に考えるのは思考をせばめるだけ
「考えること」を最近の人は勘違いしているという指摘もあります。
ネットで調べ、人に聞き解決する、というのを「考えている」と思っている人が多いとのことです。
それは単なる材料集めでそれらをもとに材料を加工してアウトプットしなければ「思考している」
とは言えないとのことです。
この部分に関して、自分も思い当たる節がありました。
ネットは便利なので、自分がいっさい考えることなく仕事が完結することもかなり多いと感じます。
また、周りでも人に聞くのみで仕事を終えている人と多く関わります。
その時に感じる違和感はこれだったのか、と腑に落ちました。
じゃあどうすれば、とやはり聞きたくなりますが、
「実際やってみるしかない」という答えでした。
こちらに個人的にこたえるなら岡田斗司夫さんの「スマートノート」をやれば良いのではないかと思います。
このノートは非常に地道な作業ですが、自分の考えを作るというには役に立つと思います。
人の意見をそのまま鵜呑みにしない
youtubeや書籍など、手軽に先人の意見を取り入れられる世の中です。
実際、自分で考えるよりもよりよい方法が早く手に入る時代だと思います。
しかし、それだけではよくないと思います。
その方法が本当に自分に合ったものか。
その方法を言っている人の目的・幸せと、自分の目的・幸せは違うものだと一旦見直すというのは大事なことだと思います。
家を買い、家族を持つのが前時代の幸せだとされています。
しかし、それは本当に必要でしょうか。
また、逆に、家族を持たず家をもたないという考えもあります。
しばらくするとこちらの考えが多数派になる未来もあるのではないかと思います。
重要なのは、他人の意見をそのまま受け止めないことです。
いったん試してみるのも良いですが、じっくり自分と向き合って考える工程が大事です。
上記の問題に関して、自分「は家は不要だが、家族は欲しい」という意見になります。
これも過去の経験則からの答えです。
一般論や常識を疑い、一度自分で考えてみるのが良いと思います。
具体的な回答が行動を縛る
具体的な答えを頭にうかべた状態で行動すると、それしか行うことができません。
しかし、抽象的な答えを思いうかべて行動すれば、結果はさまざまに分岐し、より本質に近い行動を行える可能性が高まります。
これが、「発想」「連想」を生み出せる理由であると考えられます。
まとめ
その他、世に蔓延る広告や、「儲かる・自己実現系」詐欺、SNS炎上についても痛快な意見が述べられておりました。
最近、いろんなビジネス本を読んできましたが、それらをもとに自分に最適な方法や考え方、答えを出してみようと思える本でした。
森さん非常に面白い方だと感じました。その他の本も読んでみたくなりました。
是非皆さんもこちらの書籍、読んでみてください。