日記

30代の勉強意欲と、体力のなさとの向き合い方

歳をとると、今までのやり方が通用しないことがある。2年ぐらい前からそのことをすごく感じるようになってきた。

人生にはステージがあり、それぞれのステージにあったやり方がある。20代はとにかくがむしゃらにやるのが正解だった。睡眠なんか取らなくていい!気の済むまで働き、遊び、ぶっ倒れてもいい!そんな感じだ。(本当にぶっ倒れるし、病むし、なんなら死ぬこともあるので程度はとても重要だと思うよ)

そんな生活にも20代後半ぐらいから陰りが出てくる。

なんと、物事が楽しくなくなることがあるし、同じことをそんなに長く続けていられなくなるのだ。そしてさらに結婚でもしようものなら、自分の時間は自分だけのものではない。自分のことだけに時間を使っていたらパートナーは文句を言うだろうし、人間としてそれはどうなの?と言うことになってしまう。

さらには子供が生まれたらきっとどんどん時間は「自分のものではなく」なっていくだろう。

そうなるとやるべきことは「効率よく時間を使うこと」そして「誰かのためにも時間をちゃんと使うこと」これをしなくては幸せな人生は望めなくなる。

これは、20代をがむしゃらに生活してきた人がぶつかる壁だと思う。

健康で長生きをしていかなければいけないし、ただなあなあと生きてしまうと、きっと自分の人生を生きていないと感じるはずだ。

昔は漫画やゲームやアニメをそれこそ永遠にやり続けられると思っていた。しかしながらそれは幻想だった。

経済用語で言うと、限界効用逓減の法則である。簡単に言うと1杯目のビールはめちゃくちゃ美味しい。しかし、2杯目のビールはそれほど美味しくない。30杯目のビールはもはや地獄の味になっている。

この現象を説明する用語が経済学ではあり、それが「限界効用逓減の法則」なのだ。

アニメもゲームも漫画も無限に浴び続ければ飽きてしまう。ネットフリックスだって永遠にはみていられないのだ。こうして、20代には輝いていたものが灰色になってしまうのが30代だと思う。

ではどうするのか。

まず一つとして新たな楽しみを見つけること。

今まで挑戦したことのなかったものが楽しい、と言うのはとてもある。

自分の場合で言うと、「食」と言うのは自分の中であまり向き合ったことのないものだった。しかし、妻の影響で大いに楽しめるようになってきた。

そんな感じで、周りの影響で何かを始めるのはとてもいいことであると思う。

さらに、向き合い方の頻度も大事であると思う。

「ちびちびと」「いろいろなことを」楽しむと言うことを覚えなければならない。

ずっと同じことができなくなっているのなら、このやり方を覚えるしかない。

勉強も同じことであると思う。いろいろな学習を毎日少しづつやると言うことを覚えなければならない。勉強とダイエットと趣味を少しづつ毎日ちびちびと進めるのだ。

このブログも自分の中ではその練習の一つだ。ちょっと前の自分はブログはガンガン書いた方がいいし、1日に3記事でも5記事でも書いてしまえ!と言う気分だった。でも、今の自分ではそのやり方は全然長続きしない。すぐに飽きて嫌になってしまうのだ。

毎日も辛いかもしれない。ちょっと書くこうかな?と感じた時に一記事だけ書く。壮大な記事はちょこっとだけ書く。それができたら今日はOKとする、と言うことをできるようにならないと思っている。

これからは短距離走ではなく、ゆっくりなマラソン。

もしかしたら散歩のような速度で進むものなのかもしれない。

そう心得て、あゆみを進めたいと思う。

ちなみに、今興味があるのは「英語」「React」「サービス開発・運営してみたい」「歴史」「書籍執筆」「ブログ運営」「アイデアの生み出し方」「漫画やストーリーの作り方」「ストックイラスト」。

やる気がなくなっている、と感じているところだが我ながら多すぎる。少しやることを減らすべきだと思う。

ここも2つぐらいができていれば、今日はよくやったなぁ!と自分を褒めるくらいでいいと思う。

とりあえず今日はブログをやったので、自分を褒めたいと思う。すごいぞ!

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