はじめまして、しのぴと申します。
この記事は自己紹介記事です。タイトルのとおり僕は、「公務員」→「フリーランス」→「会社員」を経験しできました。「あなたどんな人なの?」と聞かれた時に名刺がわりになるような「こちらをお読みください」と言える記事を一つ書いておこうかなと思い執筆しています。
目次
自分のルーツ「絵を描く・物作りが好き」
僕の幼少期は、絵を描くのと昆虫が好きなただの少年でした。周りが外で走り回って遊ぶのが好きな中、僕は引きこもって絵を描いたり本を見たり、テレビをみたり、ゲームをみたり。そっちの方が好きなタイプでした。(ゲームはみんな好きだったので周りから浮くようなことはなかったかなと思います)
この頃からあった「絵を描くの好き」というのが今の自分にたどり着かせたと思っています。悪く言えば「呪い」のように。
中学のときの高校の部活選びに関する恩師の言葉
中学では剣道部に所属していました。そこで顧問の先生にもらった言葉がとても印象に残っています。高校での部活えらびについてです。
「中学では、努力すれば全国大会に出ることは誰にでもできる。しかし、高校ではそうはいかない。高校での全国大会は、野球で言えば【甲子園】プロ級の才能と努力がないと到達できない場所だ。だから、中途半端なことをしてもしかたがない。高校では、将来につながるようなことを選ぶべきだ。」
それを踏まえ、高校は美術部に入ると決めました。
この時に中学生ながら、人生は戦略的に選ぶべきだということを少しだけ理解したかもしれません。
美術の道を志す
高校生活はなんとなーく虚無な時間を過ごしたように思います。あんまり楽しくなかった。
漠然と将来は絵を描いて生きていきたい。そう思っていた気がします。
しかしながら、周りに芸術系の進路をとる人が多かったため美大に関する知識は少しありました。
学費が非常に高いこと。そして、卒業した後の働き口がほとんどないことです。
なので、僕は極力学費が安いところに行くこと。そして、より就職ができそうな「デザイン」をやることを決めました。国立の芸術専門の大学は東京芸術大学しかありません。これは「ブルーピリオド」という漫画でも語られていますね。激烈に高い入学難易度や、ちょうど芸大卒の人が教育実習に来ていて、「デザインの学部はそこまでよくない、むしろ私大のほうがレベルが高い」というのを聞いていたのであまり興味がありませんでした。
芸術学部のある国立大学は結構あります。
そのなかでも入りやすそーな「デザイン」を学べる学校を選びました。
大学は芸術学部のある地方大学に入り4年過ごします。
大学の芸術教育で挫折する
そこそこデッサンはうまかったので、無事大学に入学することができました。
当時人見知りで面接にビビりまくっていたのですが、今思えばそんなにビビることはなかったなぁと思います。
人間性に問題ないか見るくらいの意味合いだったと思うので、けっこう余裕で通ったのでは、と今になって思います。
で、大学では当たり前ながら美術の授業が始まります。
デザインはデザインでも「プロダクトデザイン」というものの形を考える学科でした。
そのためどういうものを作ったら便利なのか、とか、より美しい形とは何か、とかを学ぶのです。
それと同時に、グラフィックデザインも学べるので同軸で進めていくという形でした。
美術の大学は「課題」がメインのカリキュラムになっています。お題が与えられて、締め切りがあり、それにどうこたえるかを延々繰り返していくのです。
美術の課題にこたえるのはわりと「大喜利」のようなものだと思います。
どれだけ突飛でうまいアイデアがだせるかという訓練をいつもしていたような気がします。
そして、いままで働いたことのない学生ですから、課題はいつもギリギリ。徹夜もざらにありました。
終わらな過ぎて、あした世界が滅べばいいのに、とか本気で思ってました。
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当時の自分に読ませたい本第一位はこの本です。ロケットスタート型の仕事をしなさいという本です。おすすめです。
そんな授業を受けていて、社会にでてデザイナーとして働くのがめちゃくちゃ怖くなってしまいました。
デザイン会社で面接するには「ポートフォリオ」という、作品集をまとめたものの提出が必要です。
デザイン会社に働いている人はスーパーマンしかいなくて、自分の作品集なんか絶対うからない!と妄想で思い込んでしまったのです。(今思えば以下略)
そうして、大学4年では就職活動をほぼ行うことはありませんでした。
唯一、親に言われて地元の役所を受けておけ、といわれていたのでしぶしぶ受けました。
幸か不幸か、採用が決まったのです。
公務員を辞めた理由とその時の悩み
もともとデザイナー志望でありながら、役場職員生活が始まったのです。
けっこう刺激的な日々で、面白いことも多々ありました。公務員って暇なイメージがあると思うんですが、ぜんぜんそんなことはありません。人員削減で人が減らされているので業務は忙しいこともたくさんありました。
やはり本来自分がやりたいことのギャップにずっと悩みながら働くことになります。
公務員って辞めずらいんですよね。いちどやめたらもう二度と戻ってこれない立場ですからね。
結果、周りのひとたちと合わなかったり、やっぱり田舎が肌に合わなかったり、まったくやりたくない税務の業務をずっとやらされそうになり、などがかさなりやめる決断をしました。
なんだかんだ現状維持力が高めなので、4年ほど働きました。
デザイナーは24歳ぐらいまでに就職しなければ無理!という逸話が当時あったので結構焦ってました。
ギリギリアウトな年齢です。
※これは紙のデザイナーの話です。今はこの辺の縛りはほとんどないといっていいでしょう。そして紙のデザイナーはほぼ滅びています。
まあ、公務員やめるって相当なパワーが必要なんですね。
その勢いで東京に出ます。
WEBの社会人スクールに通う、そして就職せずにフリーランスになっちゃうマン
極端から極端に走るのが僕です。
WEBの学習をすることだけ決め、東京に引っ越します。地元にいるのが嫌だったのです。
小さな町の公務員なんか、町のすべてのひとに顔が知られてるようなものです。
やめたからには出ていくほかはない。
出てくるときに紙か、WEBのどちらのデザイナーの勉強をするか悩みました。
もともとパソコンを触るのが好きで、前述のデザインの大学でも、ツールの使いただけは以上に秀でていました。公務員の間も「やめたい」としか思ってなかったので、webの勉強は独学で続けていました。それもあり、紙ではなく、WEBのデザイナーを目指して活動していくことにしました。
振り返ってみると、このときWEBを選んだのは正解でしたね。
その2~3年後に雑誌がバタバタと休刊し、グラフィックデザイナーの仕事はどんどんなくなっていきました。
今残っているグラフィックデザインの人たちは本当につよつよハイセンスな方々だと思います。
6か月間、狭い4畳半の洗濯機置き場もない部屋でめちゃくちゃ不安になりながら貯金を食いつぶしながら過ごしていました。
スクールでの勉強はとても楽しく、なにより「普通のことをすると褒められる」というのが衝撃的でした。
いままで普通のことをしても褒められなかったのですよね。
大学でも、大喜利ととらえずに、課題を普通に解決する。というだけでも良かったのかもしれないと思いました。
でもしょうがないですね。大学の教授の人たち、わりと芸術家よりな人が多かった気がするんで。というかそこまで自分も深くかかわらないようにしていたなぁと思います。
やる内容は独学でやっていた時分には割とぬるいくらいでした。
体系的に学べたことや、同じ志と熱量を持つ仲間、そしてフリーランスで割とだらだらしているトレーナーの人たちに出会えたのが収穫だったと思っています。
そんな生き方いいなぁ、と思った自分はそのままフリーランス&その学校でトレーナーになっちゃいます。
この時点で教える側レベルにちゃんと技術と知識を身に着けていたみたいです。
フリーランスのデザイナー生活
フリーランスのデザイナーになってみれば、あれだけやってみたかったデザインの仕事が山ほどできました。
この期間で「デザイナーになりたい!」と思っていた夢は十分なほど満たされます。
そして、デザイナーよりも、プログラミング寄りの仕事のほうが向いてるかも、と思います。
僕は「フロントエンドエンジニア」として働き始めます。
トレーナーの業務も並行しているし、「フロントエンドエンジニア」としての技術もそこそこある。
しかし、コミュニケーションと営業スキルが全然ない!というのがフリーランスとしての欠陥でした。
このあたりで「東京に出てる」し「デザイナーにもなれた」し、「フリーランス」として自由な働き方もできた。でも満たされない・・と感じはじめます。
正直、東京に出ようとおもってたころのやりたいことは全部やっちゃったんです。
ここで足りないと思ったのは「お金」と「愛せるパートナー、つまり嫁」です。
フリーランスでバリバリ働こうか、と頭をよぎったこともあるのですが、わりとあきっぽいので他のことをやりたい気持ちが高かったこともあり、そこまでそれに魅力を感じていませんでした。
「あんまり一生懸命働きたくねーや」の精神です。欲を出して仕事をするのがあまり得意ではなかったので、高額の収入を得るのは難しいなと正直思っていた部分もあります。
さらに、ものすごい嫌な人と組んで仕事をして、嫌気がさしていたタイミングでもありました。
もしかして会社員になったほうが楽だしいろいろできるかも!と思い立ち人生で初めてちゃんと就職活動をします。
会社員に戻る、そしてなぜか結婚する
いい年齢だったこともあり、嫁探しと就職活動を同時にやってました。
結婚相談所とか、出会い系アプリとかはなんとなくプライドで使わず。
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恋人探しで一番役に立った本はこれかもしれません。
服は何を着ればいいの?の悩みがこの本で消えました。感謝。
精神的な面は以下の本が参考になりました。
ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎文庫) [ 藤沢数希 ] 価格:759円(税込、送料無料) (2022/1/18時点)楽天で購入 |
これをただ実行してもただのナンパ師になるだけだし、全般的に取り入れるというのは全く推奨しません。
でも、「女の子怖い」と思っている人は一度読むと勇気が出るんじゃないでしょうか。
参考になる部分はぜったいあります。
そんな本を読みつつ努力をしていたら、出会った女性に告白され結婚に至ります。
ここも別途また紹介したいですね。
で就職の話ですね。
ポートフォリオ恐怖症はまだ続いていたのですが、今回はエージェントを利用しました。
いろいろ人材会社の人がアドバイスをしてくれます。
応募するのなんかめんどくさいな、と思う人は勝手に応募してくれるんでとても心が楽です。
ここ一時受かるんだ!みたいな客観的な情報が手に入るのでとても自分に合っていました。
そんなこんなで、自分のどこかにめちゃくちゃ秀でてるわけでもなく、なんとなく全般的に何でもできる。
というスキルを買ってくれた会社に就職し働くことになったのです。(今も働いています)
そして今!ブログに本腰を入れている。
いままでいろんなことをやってきました。デザイナーになったし、嫁も持ったし
もう、人生で求めることってあんまりないです。
※子供もったら変わるのかも
ぶっちゃけると不労所得がほしい!そのためには努力を惜しまないでやってやる!あんまり働かないで稼げるか自分自身で検証してやる!そろそろ子供もできるののにこんな低収入で足りるか!そんな決意のもとこのブログを書いております。
そんなよこしまな動機で始めたブログですが、もしかしたら僕の今までの経験がいかせるのではないか。みんなの悩みに答えを提供できるのではないか。そんな風にも感じております。
ぜひ、このブログと僕「しのぴ」をよろしくおねがいします。