日記

東京オリンピックへの個人的な思い

新型コロナウイルスの話題で、東京オリンピックの話題はどこへやらといった感じですが、振り返ってみると自分の人生は東京オリンピックが重要なキーになっている、と感じたのでたまにはそういう普通の自分のことを書いてみるのもいいかなと思って筆をとっている。

ちなみにスポーツのことは一切出てこない。

「お・も・て・な・し」で東京オリンピックが決まったのは2013年であった。
自分はそのニュースを見たときに思ったのは

「仕事をやめよう」

であった。

東北大震災が2011年。まだまだ復興の空気があった時期で決して景気は良くなかった。
このまま景気が悪いのであれば、今の仕事を続けるしかないと感じていた。
その時の自分は全く仕事がいろいろな意味で肌に合わず、絶望していた。

東京オリンピック開催の知らせは自分の背中を押してくれる鶴の一声であった。
我慢の限界であったため、すぐにやめた。
自分の記憶では、ニュースを知ってからやめたような気がしていたが、今確認してみると誘致決定と自分のやめた時期はほぼ同じ。
そのことからも本当に我慢の限界だったことがうかがえる。

ちなみにその時の仕事は公務員だったのでそれもやめにくかった原因だった。
辛そうな様子を見ていたので両親は快く仕事をやめるのを納得してくれた。感謝している。
だが、去年なくなった祖母はあまり快く思っていなかったとおもう。
おそらく、自分がどんな仕事をしているかあまり知らぬままだったはずだ。ごめんなさい。

その後、2か月程度後東京に出ていくのを決めた。
なんのつてもなく出てくるのは難しく、WEB制作を学べるスクールに通うことにした。

(当時はとにかくデザイナーになりたかったのだが、紙のデザイナーかWEBデザイナーか迷ったのを記憶している。今振り返ると、その選択は正しかった。いまは紙のデザイナーは非常に狭き門であり、先もない。)
また、部屋も決めた。それも自分で主体的にちゃんと選択した初めてのことだったのだと思う。
かなりお金がかかることだったが、まあ真面目に働いていたのでその貯金を使うことで何とかなった。
今振り返ってみても、自分で選択した一番大きな投資だったと思う。元は取れているんじゃないかと今は思う。
(こういったターニングポイントにいる方にアドバイスだが、このようなお金はすぐに溶けて消えるので注意しよう。早めに次の金策の手を打つのをおすすめする)

それからはすべてが不安な6か月だった。
後ろだても、今後の展望もあいまいでただ現状が嫌で今を変えたくて、何かを作りたくて。
そんな焦燥感に近いいろいろな思いだけで日々を過ごした。
期間中は、社会人向けスクールだったのだが通い放題だったので不審に思われない程度にそのスクールにいたと思う。

卒業後、そのスクールの教える側に回り、フリーランスという働き方に興味があったので流れで何となくフリーランスとなった。

それから4年間ほどフリーランスをしたが、正直あまり自分の気質に向いていたとは言えないと思う。
(自分にはあまり向上心がなかった)
それから、2018年ごろに「オリンピックが終わったら景気が悪くなる」というのを耳にした。
その理屈は確かに通っているし、自分もそろそろほかのことをしたいと思っていたので正社員になることにした。

2019年2月にシステム会社に転職した。
転職してみると、結局最初の公務員時代のような社内の何でも屋のようなことをしている。
でも、当時に感じていた漠然とした不安はない。
フリーランスも経験し「意外とテキトーに生きても死なない」ということを知っているからだ。

まぁフリーランスは向いてないと知っているので独立しようとかはあまりないが、稼ぐ手段だけはいつでも模索していたいと思う。

そして、2020年3月 オリンピック前で最も盛り上がっているべき時期だが、みなさんご存じの通りこのありさま。だいぶ世間は不景気になってしまっている。
正直、スポーツのことはわからないが、少なくとも自分の人生は東京オリンピックで変わったのだ。
成功してほしいと思っている。

追記

2020年世界に開かれるはずだった東京が「都市閉鎖」の危機だ。
全世界でも予測と一番ギャップがある国のひとつだろう。
宿が足りない・・・といった予定はどこへやら。
これに向けて資産の投入をしていた企業は大損ですね。

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