現代は物質的な欲望は割と簡単に満たせるようになっていると思う。
そんなことない、という方もいるかもしれない。
そんな方に是非読んでほしい。
目次
他人の欲しがるものを欲しがらない
他人の欲しがるものと、自分の欲しがるものを混同してしまうとよくない。
お金がものすごい必要なうえに、手に入れたときの満足度もあまり高くない。
みんなが欲しがっているから欲しいだけで、本当に自分が欲しいと感じているのかを自分に問いかけてほしい。
- 高級ブランドバッグ
- 高級腕時計
- 高級車
- そろそろマイホーム
- 思考停止で結婚式
バッグとしての機能はブランド品でなくても十分なものがおおい。
時計はスマホにもついているし、腕時計も1000円で正確な時間を知れるものが手に入る。
むしろ4000円ぐらいのスマートウオッチのほうが高機能ですごい。
家、車、結婚式は本当に必要かよく考えて購入したほうがいい。
家はちゃんと利息の額を把握しよう。35年銀行のために働くことになることがわかるはず。
車は都会にいれば必要ない。なくても生活できる仕組みを整えたほうが良い。
結婚は3組に1組が離婚する時代である。
結婚するたびに結婚式を開くのか。また、結婚式を開く分を結婚生活のための資金にしたほうが結婚生活はうまくいくに決まっている。
結婚式を開いてお金を盛大に使うことで、その後の生活がうまくいかない確立を挙げているともいえる。
パートナーや家族が結婚式に大いなる幻想を持っている場合もあるので、その場合は開くほかはないだろうが・・・。
パートナーも価値観の近い人を選びたいものだ。
欲しいものはわりと簡単に手に入る世の中
過去のどんな貴族より、50年前ぐらいの裕福な人よりいまの普通の人たちは贅沢な生活をしていると思う。
世界はどんどん良くなっている。そのことについては「ファクトフルネス」という書籍を読むとよくわかる。
今がいちばん豊かな時代になっている。
例を挙げよう
- 無料で浴びるように音楽を聴くことができる。
- 月1000円程度で映画が見放題である
- youtubeで知恵やノウハウの動画による共有が可能になった
- スマホやパソコンがあればインターネットで有用な情報を無限に手に入れられる
- スマホを使えば一昔前には魔法だった様々なことができる
- 100円ショップであらゆるものが安い
- 食材はスーパーで安く手に入れることができる
- 都会であれば移動も電車やバスで安価に可能
- メルカリを使えば不用品をお金にすることがたやすい
このように、一昔前だったら贅沢の極みのようなさまざまなことが可能になっている。
「物質」は簡単に手にはいるようになっているのだ。
前述の「ブランド」や「高級品」に目くらましを食らわない前提でだ。
本当に欲しいものを見極める目が必要になってくる
今の世の中高いものが必ずしもいいわけではない。
得られる効果と価格のバランスをとって見極めることがとても重要な世の中になっていると思う
そして、自分の「欲しいもの」をちゃんと知っておくことが大事だと思う。
さんざんブランド品を否定したが、他人の目とか関係なくそのものに対して魅力を感じている場合もあるだろう。そんなときは迷わずそこにお金を投入するべきなのだ。
この記事で言いたいのはこんな時代だからこそ「自分の欲望」を大切にし育てるべきだということだ。
欲しいものがあまりない
上記のような思考を徹底した結果、わりと欲望が消えてきたように思う。
結婚し価値観が変わってきたことも影響していると思うが、自分としてはものすごい衝撃を受けたことだった。
昔はゲームを無限にやりたいと思っていたけれど、そこまでやりたいと思わない。
ソーシャルゲームに少し課金していたことがあった。しかし今はキャラクターを欲しいという心理は理解できなくなってしまった。
むかしよりアニメやドラマなどを楽しめなくなってしまった。
出身地は田舎で、そこで一時期働き、消防団に所属していたことがあった。
そこで繰り広げられる会話は、「酒」「ギャンブル」「女」「タバコ」といった内容である。
それらにほとんど興味がない自分はそれしか話題がない空間が苦痛だった。
それらに興味がないことに憐れみの目を向けられるのだ。
それが多数派なのでしかたがない。
消費には大して魅力を感じなくなってしまった。
経済学用語で「限界効用トン減の法則」というのがある。
非常に難しい言葉ならべられているが、一杯目のビールが一番おいしく、2杯目のビールはそれほどでもない。
10杯目のビールにおいしさはほぼない。
ということを説明したものである。
同じように人間には一生で摂取できるエンタメの上限が決まっているのではないかと思う。
アニメを見すぎた人間はいつかその喜びを感じられなくなるタイミングが存在している。きっと。
だから、ネットフリックスなんかは非常にやばいコンテンツだと思う。
みんなそのうちすぐに動画コンテンツに興味を失うのではないかと思う。
摂取するエンタメの種類をずらせばいいとは思うが、それでも「一生分の限界量を味わった」というタイミングは来るのではないかと思う。
ほかにも昔は楽しかったものがあまり楽しめない現象が起きている。
かつてここまでエンタメを浴びた世代は存在しなかったのだから、これが症候群のように問題になってくる日も近いのではないか。
簡単に得られる欲しいものは得つくした
物質的に欲しいものは本当に簡単に手に入るようになったと思う。
「本質」を見ていればそれらは本当に簡単に。
しかし、前述のとおり消費ばかりしている人はあまり楽しくない世界が近いと思う。
ではどうすればいいのか。
自分の「やりたいこと」を見つけたらすごく大切にするのが大事だと思う。
また、「生産側」になるのが一つの手ではないかと思う。
物質消費に魅力を感じなくなって、のこったことは「簡単には得られないこと」だけだった。
これからはそれを実現することをしていくしかない。
だから自分はブログを始めた。
- ブログを書いて稼いでいる
- youtubeからの収入で稼いでいる
- LINEスタンプの売り上げだけで暮らしている
こういう人がまったくもってうらやましい。
物質的に欲しいものはなくなって、そういうところが欲しいもの、やるべきことにかわってきた。
欲しいもの・やりたいことを大切にする
無欲に、無欲にをじっせんしてきて思うことがある。
いまからの時代は「やりたいこと」が非常に大事だと思う。
他人が欲しがるものではないという前提でだ。
ここ行きたいかも、うらやましいかも、まなびたいかも
これらを実現するハードルもすごく下がっている世の中だと思う。
そう感じたことは大切にしていきたいと思う。