日記

僕は狂人にはなれない。狂気がある人へのあこがれについて

たまには嘆きの文章を書いてみる。

文をしばらく書いてみて思うことだが、僕には本当に才能がないんだなぁと思う。
人に喜んでもらえる文が書けるとは全然思えない。

周囲の人に喜んでもらって楽しんでもらえる文が書ける人は本当にすごいと思う。

【にゃるら氏に聞く,「NEEDY GIRL OVERDOSE」に込めたディープな想い。幸せな結末は存在しなくても,あなたの思う幸せはあるかもしれない】
https://www.4gamer.net/games/537/G053796/20210615063/

この作品、やったことはないのだけれど自分はきっとすごく好きなタイプの作品なんだと思う。
すごいオタク丸出しで、好みが偏ってて、そういうものがあふれ出しているタイプの作品がすごく好きだ。尊敬する。

30歳を超えたくらいで、そういったものに興味が薄れ、執着がなくなってきた。
それはすごく生きるのが楽になったことなんだけれど、「失われてしまった」という感覚だけがある。

そういう、狂気をもったタイプの作り手には今後きっとなれないんだろうなぁと思うと悲しい。

でも、自分の作りたいものを作って、それが周囲に受け入れられるというのはすごく難しいことなんだと思う。
それができるのはすごく運がいい人か、実はとてもクレバーな人なんだと思う。

中田敦彦のyoutube大学で、飲食店経営についての動画が上がっていた。
そのなかで「プロダクトアウト」「マーケットイン」という言葉が出てくる。

これがすごく心にのこった。

プロダクトインというのは自分のやりたいことを優先して世の中に発出すること。
これはなかなかうまくいかないらしい。

それはそうだろう。鼻水で絵をかくのがすごくうまい。という人はなかなか世間には受け入れられないであろう
。世界一の超絶技巧であっても。

それに対してうまくいきやすいのが「マーケットイン」。

世の中のニーズがまずあり、周りの求めているものを提供するということだ。

そういった世の中への執着が消えて、自分は「マーケットイン」のフェーズに入ったのかもしれない。

狂気の天才作家になることは残念ながらあきらめたわけだが、これから自分が「文章を書くことで」提供できる価値は何なのか。

このブログを書きながら考えていきたいと思う。

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