日記

【fashion for UX】ファッションについてUX視点で考えてみる

こんにちは、はじめまして。私は企業にUIUXデザイナーとして働いている。
最近このブログで、身近な事柄をUXの観点で考えてみようという試みを始めた。

こちらには自分の考えの軌跡を残していく予定だ。
過程の記録なのでもしかしたら結論は出ないかもしれない。自分の考えを書き捨てているだけなのだがお付き合いいただきたい。

ファッションのUXとジャンルを絞ってみたものの

UXという言葉の影響範囲は計り知れないほど広い。
なので、「ファッション」について絞ってみたところでまだすごく広い。

服にまつわる人もたくさんいる。
服を売る人
服を作る人
服を着る人
服を見る人
服を買う人
などなど・・・

その中でも、服を買う・着る人と服を見る人のUXに注目してみたいと思う。

私たちはどんな服を着ているか

皆さんは服を選ぶときにどんな基準で選んでいるだろうか。
価格だろうか、ブランドだろうか。
最近の人はこの2つが多いような気がする。
思いつく限り「服」の役割について書いてみたいと思う。

UXではその人がどのような経緯でそのものに触れているかを重要視する。それを「利用文脈(コンテクスト)」という。やはりここで羅列してもなかなか網羅することはかなわないのではないかと思う。

地位や役割の象徴としての服

服というのは歴史的に、地位を象徴するものだったと思う。
100年ほど前は服は財産そのものだった。
資産として着物を持っておけ、というのは少し前の価値観としてあったと思う。

王様は王様らしい扮装をする。
騎士は騎士らしく、貴族は貴族の格好をする。

今でも「制服」というものがあって、それで役職を見分けていると思う。
スーツも立派な「地位と役割の象徴」である。

羽振りがよさそうな人は金持ちそうなアイテムを身にまとい、ブランドのスーツで武装している。

それらの服を着ることで気持ちが引き締まったり、同じ仲間であるという結束を高める役割があるのではないだろうか。
そこに喜びを感じる、というのは大いにあることだろう。

仲間や結束を表すための服

上にあげたものと似ていて、「ユニフォーム」や「学校の制服」というものがある。
所属する学校が違ったり、チームが違ったりするだけだが、その服をまとうだけで仲間を判別し、互いに敵対視しあう。
まことに滑稽な現象だと思う。しかし、それが今の社会の一般的な価値観である。非常に面白いことだと思う。
差別のない世界では、こういったことも許されないかもしれないと思う。

なにをもって仲間とみなすか、というのはきっと深い問題だが、同じ服を着ているかどうかというのも一つの判別方法としてあると思う。

オリジナルのユニフォームを一緒にまとい、ともに戦うというのは良い体験だと思う。
「どのようなものにするか選ぶ」というのも大事な結束をはぐくむための体験なのではないか。
これはきっと楽しいことであると思う。

高価な服をまとうことの喜び「ブランド服」

ブランド服には権威とストーリーがある。
その服のストーリーに魅入られて、高価であっても欲しくてたまらなくなってしまう魔法。それがブランド品であると思う。

ブランド服は希少性があり、なかなか手に入らないこともある。
ブランド服がブランド服たる所以はこれから自分も大いに学ばなければならないと思う。

服に関して、懇意にしているものはないのだが、「Apple」に関しては自分もその魔法にかけられているとちょっと思う。

服はけしてまとわなくてもよい。所有しているだけで喜びがある。
眺めたり、集めるのが目的という人もいるだろう。

実用性は必ずしも伴わなくてもよい。
不便でもそのブランドに固執している人はたくさんいるし、安くて機能性が高い商品はいくらでもある。

この辺は、「買い物、消費をする楽しみ」もあるのではないかと思っている。

安価な便利服の喜び

収入の多い一部の人にとって、こちらが多いのではないかと思う。
僕もここがメインの楽しみだと思っている。
しまむらやユニクロで服を眺めるのは楽しい。

必要な服を予算の範囲内で選ぶというというのは楽しい。
こちらは生活に彩を、というイメージではなく「生きるために買っている」「生きるために着ている」というイメージがある。

そう考えるとこの項目で服を買っている人は「苦痛から逃れる」というマイナスをゼロかプラスに持っていく行為なのかもしれない。

プラスに持っていけるひとは、そのなかでもおしゃれを!楽しみを!の精神で買っていると思う。
安い服には問題点もある。

ついつい買いすぎて、着ない服を手に入れてしまったりする。(これは高級な服でもあることか)
必要以上の服の購入は生活の満足度を下げると思う。
ここについてもいずれ深堀出来たらとおもう。

素敵な人をまねる喜び

「おしゃれをする」といっても、結局のところインフルエンサーと同じものを手に入れて喜んでいるだけ、というのはよくあることなのかもしれない。

有名人が着ている、持っているものは魅力的に感じる。
その人と同じようになれたと思えるからだ。

信頼している人のおすすめしているものは信頼できるということはあるかもしれない。
そういったものは、だいたい人気が出るので、希少性も増して手に入れる喜びも追加される気がする。

おしゃれをする喜び

自分の着たいものをきる。もしくはモテるために良い服をきる。
これはとても楽しいらしい。

僕は着たい服というのがないのでこの辺は理解しがたい。
周りから見てどう思われるかでしか服を選んでいないと思う。

色の組み合わせや、アクセサリーの組み合わせでより効果を増すことを楽しむ。
自分にそれが似合っているかというのも評価要素になる。

扮装するという喜び

コスプレだったり、特定のジャンルの服を身にまとうことで扮装する欲望をみんな持っている。
現代では10月のハロウィンにそれが爆発している。

すべての人が持っている一般的な欲望ではないが、かなり一般的に浸透してきているものだと思う。
最初にあげた「制服」も似たようなものであるかもしれない。

エンターテイナメントのための服

舞台衣装とか、映画のための服装だ。
これも扮装だと思うが、ものすごい変わった世界観のものであれば劇中のなかでの服の役割もここにあげたようなものであると思う。

ファッションを見る喜び

かわいい服をみる、かっこいい服を見る、そういったことに人は喜びを感じる。
アイドルだったり、好きな人だったりのおしゃれな姿を見るのはとても楽しい。

暑さ・寒さをしのぐ

ここは機能のはなしになる。
素晴らしい防寒の上着、靴下には感動を覚える。
ファッション、という観点ではないと思うが服の重要な機能だ。

恥ずかしい部分を隠す

服のそもそもの成り立ちはここだったかもしれない。
見せたくない部分を見せないようにするというのが大きな役割になっている。

誠意や清潔感を見せる

TPOに合わせて、というものだ。
しかるべき場所にはしかるべき衣装を着ていかなければならない。

思いつく限りざっとあげてみた

なかなかいい感じであげられたと思う。
自分の今の考えだとこれくらいしか思いつかない。

これらを場面や目的によって組み合わせることですごくわかりやすくなるのではないかと思う。
また、自分が買う・着る服はどれにあたるものか意識することで満足度や志向が変わるのではないかと思う。

当初の予定通り今回の内容をもとに、「デートの時の服選び」についてUXの視点で考えてみたいと思う。

では、次の記事でお会いしましょう。